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2008.06/29 [Sun]
茨城県古河市・鮭延寺
● ……古河、遠いよ古河! 移動だけで何時間かかったんだか。しかも雨天……。
鮭延寺。古河市のサイトによれば。
「今は総和町になっていますが、昔の古河藩領の大提に鮭延寺という寺があって、そこには、鮭延秀綱という武将の墓があります。
鮭延氏は、出羽山形の城主最上家七十万石の家老で、1万5千石、智徳・仁義を知る武将で、最上家の内紛により、国を離れ、幕命によって、秀綱を慕えて追從して来た家臣十数名と共に利勝に預けられました。
秀綱は、利勝の温情により賜った五千石を、皆家臣に分け与えた、自分は無祿となり、家臣を励まし余生を送ったと言います。没した時、家臣らが此処に一寺を建立し、殿の姓をもって寺号とし、鮭延寺としたと言う。近世武士の真髄をひしひしと身に感じさせる話ではありませんか。」
とまあ、最上関連なわけです。にしてもさー、タクシーの運転手さんもそうだったけど、鮭延の殿様とかいってて、義光に仕えたとか長谷堂はじめ活躍したなんてことは、よほどのマニアじゃなきゃしらんのね。
でもって、この鮭延寺にはいろいろ引っ掛かる部分がある……。これについてはいずれ、また。
……実際気になって訪れたけど、鮭延という男が何者なのかわからず、案内板すらありません。観光パンフレットにも掲載なし。最上とのつながりがわかるのは、真室川から贈られた記念樹くらい。むしろ陽明学者・ 熊沢蕃山の墓があるほうが有名。こっちは由来案内看板もあります。

近年再建された庫裏。

これが鮭延秀綱の墓。
鮭延寺。古河市のサイトによれば。
「今は総和町になっていますが、昔の古河藩領の大提に鮭延寺という寺があって、そこには、鮭延秀綱という武将の墓があります。
鮭延氏は、出羽山形の城主最上家七十万石の家老で、1万5千石、智徳・仁義を知る武将で、最上家の内紛により、国を離れ、幕命によって、秀綱を慕えて追從して来た家臣十数名と共に利勝に預けられました。
秀綱は、利勝の温情により賜った五千石を、皆家臣に分け与えた、自分は無祿となり、家臣を励まし余生を送ったと言います。没した時、家臣らが此処に一寺を建立し、殿の姓をもって寺号とし、鮭延寺としたと言う。近世武士の真髄をひしひしと身に感じさせる話ではありませんか。」
とまあ、最上関連なわけです。にしてもさー、タクシーの運転手さんもそうだったけど、鮭延の殿様とかいってて、義光に仕えたとか長谷堂はじめ活躍したなんてことは、よほどのマニアじゃなきゃしらんのね。
でもって、この鮭延寺にはいろいろ引っ掛かる部分がある……。これについてはいずれ、また。
……実際気になって訪れたけど、鮭延という男が何者なのかわからず、案内板すらありません。観光パンフレットにも掲載なし。最上とのつながりがわかるのは、真室川から贈られた記念樹くらい。むしろ陽明学者・ 熊沢蕃山の墓があるほうが有名。こっちは由来案内看板もあります。

近年再建された庫裏。

これが鮭延秀綱の墓。


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