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痛い江戸ニュース 駿河城御前試合
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>チャートいいですね。荒山徹の”強烈な個性度”がないのは、言わずもがなということですか…
あ、忘れていました! でも正直∞にしたいところです。
>日和見も臆病もないとバランスがおかしくなるんじゃなかろうかと思います。そういう人がいないと。
そーなんです。裁判制度とかもなるべく客観的に、中央へ引っ張っていくことを制度化したもんなんだろうと。
といいつつ、エントリごと消したのは照れくさいんです……。
「真剣御前試合」 駿河大納言 徳川忠長
こんなことをすると言ったら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の忠臣たちは、陰腹を切ってでも諫めるだろう。幕府に謀叛するつもりかと疑われるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は真剣御前試合を開催する。
掛川には剣豪が集っているので、家老に命じて出場者を物色しているのである。私の住んでいるあたりは、尚武の家風が強い。雄大な山河が広がり、そこでは浪人、試し斬りされた町人、野犬などの死骸がころころしている。城で死骸が増えたとて、領内の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
真剣御前試合に至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
掛川には様々な流派がある。みんな強豪揃いだ。弱い連中もいたが、領内には居つかず、道場を徘徊して、やがていなくなった。私は彼らの威光を、どれも若い頃から見てきた。当然、彼らは真剣に試合をし、結果人死にも出る。今のご時世剣術で出世したい侍はわんさかいる。これは浪人も同様だが、宮本武蔵ほどの腕をもってしても、仕官させてくれるところなんかない。
木刀での試合を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。侍にとっての「生」とは、主君の命で戦い、名誉を果たし死ぬことではないか。その本質的な生を、太平の世の都合で奪いとっていいものだろうか。
藩士は幸せさ、うちの藩士には愛情をもって接している。藩士もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、藩士が主君に忠誠を誓う根元には、俸禄をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし侍が自由に言上できるのであれば、俸禄のために勘定方などで飼い殺しにされたくない、真剣で戦いたいというだろう。
侍に真剣勝負を禁じることは、主君の責任だといわれている。しかし、それは主君の都合でもある。剣士が当たり前のように真剣勝負をすると、結果殺し合いになってしまう。だから社会的責任として、腕を磨きたい侍は、木刀で当てずに稽古するように指導する。私は、これに異を唱えるものではない。
ただ、この問題に関しては、真剣勝負を認めるべきなのだ。侍として死ぬことを放棄させるか、侍として生を全うさせるでかの差だ。真剣勝負禁止のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、侍にとっての存在意義といえる「死狂ひ」の経験の有無、勝負の結果死ぬという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
君主として侍を治めること自体が、権力のわがままに根ざした行為なのだ。侍にとっての「生」とは、太平の甘えなどなく、忠義のために死ぬことだ。幕府が「武士道」にちょっかいを出すのは間違っている。武士道は神聖だ。それに対してちょっかいを出すなどできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
幕府は侍に対して、真剣勝負を禁じる権利などない。仇討ちや死狂ひをやめろという権利もない。それでも、統治のために侍を統制したいのならば、君主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
私は自分の掌中の玉である藩士の「武士道」の充実を選び、武士道に対する責任として真剣御前試合を選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
あ、暗君……今回は無理ありまくり。
追記。
この猫騒動って人間にたとえると、平塚死体遺棄事件じゃないかと思うんですが。日本では避妊しての性行為や早期中絶は犯罪にカウントされないけれど、死体遺棄は駄目ですよね。そう考えれば、猫のこととはいえ道理は簡単なんじゃないか。
にゃーは好きだよ。好きすぎてこの問題については深く考えたくなくなってくるんだよ。そこでシグルイなんだ(何故!)。
>チャートいいですね。荒山徹の”強烈な個性度”がないのは、言わずもがなということですか…
あ、忘れていました! でも正直∞にしたいところです。
>日和見も臆病もないとバランスがおかしくなるんじゃなかろうかと思います。そういう人がいないと。
そーなんです。裁判制度とかもなるべく客観的に、中央へ引っ張っていくことを制度化したもんなんだろうと。
といいつつ、エントリごと消したのは照れくさいんです……。
「真剣御前試合」 駿河大納言 徳川忠長
こんなことをすると言ったら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の忠臣たちは、陰腹を切ってでも諫めるだろう。幕府に謀叛するつもりかと疑われるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は真剣御前試合を開催する。
掛川には剣豪が集っているので、家老に命じて出場者を物色しているのである。私の住んでいるあたりは、尚武の家風が強い。雄大な山河が広がり、そこでは浪人、試し斬りされた町人、野犬などの死骸がころころしている。城で死骸が増えたとて、領内の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
真剣御前試合に至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
掛川には様々な流派がある。みんな強豪揃いだ。弱い連中もいたが、領内には居つかず、道場を徘徊して、やがていなくなった。私は彼らの威光を、どれも若い頃から見てきた。当然、彼らは真剣に試合をし、結果人死にも出る。今のご時世剣術で出世したい侍はわんさかいる。これは浪人も同様だが、宮本武蔵ほどの腕をもってしても、仕官させてくれるところなんかない。
木刀での試合を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。侍にとっての「生」とは、主君の命で戦い、名誉を果たし死ぬことではないか。その本質的な生を、太平の世の都合で奪いとっていいものだろうか。
藩士は幸せさ、うちの藩士には愛情をもって接している。藩士もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、藩士が主君に忠誠を誓う根元には、俸禄をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし侍が自由に言上できるのであれば、俸禄のために勘定方などで飼い殺しにされたくない、真剣で戦いたいというだろう。
侍に真剣勝負を禁じることは、主君の責任だといわれている。しかし、それは主君の都合でもある。剣士が当たり前のように真剣勝負をすると、結果殺し合いになってしまう。だから社会的責任として、腕を磨きたい侍は、木刀で当てずに稽古するように指導する。私は、これに異を唱えるものではない。
ただ、この問題に関しては、真剣勝負を認めるべきなのだ。侍として死ぬことを放棄させるか、侍として生を全うさせるでかの差だ。真剣勝負禁止のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、侍にとっての存在意義といえる「死狂ひ」の経験の有無、勝負の結果死ぬという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
君主として侍を治めること自体が、権力のわがままに根ざした行為なのだ。侍にとっての「生」とは、太平の甘えなどなく、忠義のために死ぬことだ。幕府が「武士道」にちょっかいを出すのは間違っている。武士道は神聖だ。それに対してちょっかいを出すなどできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
幕府は侍に対して、真剣勝負を禁じる権利などない。仇討ちや死狂ひをやめろという権利もない。それでも、統治のために侍を統制したいのならば、君主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
私は自分の掌中の玉である藩士の「武士道」の充実を選び、武士道に対する責任として真剣御前試合を選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
あ、暗君……今回は無理ありまくり。
追記。
この猫騒動って人間にたとえると、平塚死体遺棄事件じゃないかと思うんですが。日本では避妊しての性行為や早期中絶は犯罪にカウントされないけれど、死体遺棄は駄目ですよね。そう考えれば、猫のこととはいえ道理は簡単なんじゃないか。
にゃーは好きだよ。好きすぎてこの問題については深く考えたくなくなってくるんだよ。そこでシグルイなんだ(何故!)。
- 23時03分
- [グロテスク ネタ飛び散り]
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